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【みちくさボンバイエ】佐々木健介/長州イズム最強伝説。

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みちくさボンバイエ

州力に憧れてプロレスに入門、デビューするも全く勝つことができず、初勝利まで203連敗していたレスラーがいました。そう、それが若き日の佐々木健介。どん底から頂点へとのし上がる不屈の精神力。今回はそんな佐々木健介でボンバイエしたいと思います。

ご存じない方も多いかもしれませんが、健介は昔「パワー・ウォーリアー」という名前のレスラーでした。デビュー当初はまったく光が当たらなかった健介の実力が頭角を現し始めた時、今は亡きホーク・ウォーリアーからの呼びかけで結成された「ヘルレイザーズ」で健介はパワー・ウォーリアーと名乗り、結成してすぐにタッグ王者となりました。その後、伝説となる40連勝の快進撃を続けたヘルレイザーズ。まずは、ヘルレイザーズvsムタ&ハルクホーガンという、贅沢すぎる1戦をご覧ください。レフリーも僕が一番好きなタイガー服部という贅沢。ただ、実況の外国人がとってもローテンション。


Hellraisers vs. Great Muta & Hulk Hogan


佐々木健介に戻ってからも、闘魂三銃士(蝶野正洋・武藤敬司・橋本真也)と共に新日本のエースとして第一線で活躍していました。僕はその当時に買った健介のフィギュアを今も大切に持っています(なんと、パワー・ウォーリアーと健介の着せ替えができるやつ)。

ではここで、健介全盛期の一戦をご覧ください。長州仕込みのラリアット1発、たったの6秒で健介が勝利した歴史に残る試合です。誤解しないでほしいのは、対戦相手の小原が弱すぎるわけではありません。それほど健介のラリアットは完成されていましたし、理想的な筋肉をその身にまとった健介はパワーレスラーとしての地位を確立していました。

健介 vs 小原 6秒で勝利 This is Gachinko Pro-wresling !


先ほどお伝えした通り、健介の師匠は革命戦士長州力。ファイトスタイルもよく似ていますが、ラリアット・バックドロップ・ブレーンバスター・サソリ固め等、長州仕込みの必殺技はどれも完成度の高いものでした。ということで最後に、長州vs健介の師弟対決をご覧頂きたいと思います。僕が感動したのは最後の最後までカウント1でフォールを返した師匠の意地。両者から長州イズムが伝わってきた素晴らしい試合でした。あと、長州が健介を蹴る時に叫ぶ「たわけが!」が好き。

206


コラムがスタートしてから今まで、できるだけ華のあるレスラーをピックアップしてきましたが、次回はついに、書きたくてウズウズしていました「いぶし銀・木戸修」でボンバイエしたいと思います。すごく地味ですが独特の味がある、渋さを極めたレスラーです。それでは。



※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】いぶし銀と呼ばれた男

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みちくさボンバイエ

がくると見せかけ、まだまだ寒いですねえ。もうすぐ春休みという事で、そろそろ海開きを迎える沖縄に旅行に行く方も多いと思います。そんなあなたにご朗報! ちょうどいいタイミングで、全日本プロレス春の祭典<チャンピオンカーニバル>が沖縄で開幕しますよ。対戦カードも豪華。

■潮崎豪vs大森隆男(豪腕ラリアットとアックスボンバー、どちらのラリアットが勝つのか!?)
■諏訪魔vs吉江豊(全日本を代表するパワーファイター同士が激突!)
■曙vsゼウス(おぉ、曙ここにいた!!笑)



ぜひ沖縄の観光コースに入れてみてはいかがでしょう。

そんなこんなで、今回もボンバイエがスタート。初めに言っておきますが今回は地味です! でも、地味を言いかえると「渋い」。あのお方はそれを証明してくれました。そう、今回はいぶし銀と呼ばれた木戸修でボンバイエ。地味(以下:渋い)な中にしっかりとプロレス風情を感じで頂きましょう。

木戸修の必殺技は脇固め。いや、ただの脇固めではなく「高角度脇固め」。うん、必殺技も渋い。この技、毎回出すタイミングが絶妙でした。優勢になった相手が油断した一瞬の隙を刺す様に繰り出す脇固めには、毎回興奮させられました。このお決まりの渋い技で毎回会場を盛り上げる木戸さんは、ほんとにすごいと思います。



僕が木戸さんの好きなポイントをもう1つあげるとすると、その髪型。試合中に乱れないギリギリの長さでキープされたその髪は、いつでも「いぶし銀」の風格を保ち続けました。聞いた話によると、グレート・ムタを載せるとコラムのアクセス数が上がるそうなので、ここで迷わず木戸修vsグレート・ムタの試合をご覧頂こうと思います。解説は驚きの武藤敬司。ムタってすごいなぁ。






パワーファイトが得意なレスラーや空中殺法が得意なレスラーなど、プロレスラーには色々なタイプがあります。木戸さんは特に脇固めを中心に関節技を得意とするレスラーでした。そんな木戸修と「関節技の鬼」と言われた「組長」こと藤原喜明がぶつかった名試合をご覧頂きたいと思います。先日の1.4東京ドーム大会で、いきなり入場曲「ワルキューレの騎行(ワーグナー作曲)」が流れて藤原喜明が入場してきた時は「おぉー!」という驚きの歓声と共に会場中が沸きましたね。

藤原喜明 vs 木戸修


いかがでしょう、いぶし銀の魅力はみなさんに伝わりましたでしょうか?ちょっと玄人向けになりすぎたかもしれませんが、ずっと紹介したくてウズウズしていたので我慢できなくなりました。今後も、いろんな角度でプロレスを紹介していければ嬉しいです。次回はアメトークのケンコバで有名な「ド演歌ファイター」越中詩郎でボンバイエしたかったのですが、2回連続渋すぎると怒られそうなのでちょっと華のあるレスラーで検討しようと思います。それでは。

みちくさボンバイエ






※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。


★長寿の島 沖縄大宜味の天然水『NUVI』(ヌーヴィ) がスポンサーなりました!

【みちくさボンバイエ】語り継がれるべき猛虎伝説

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みちくさボンバイエ

然ですが、昔から欲しいと思っていてまた最近購入欲が高まっているものがあります。それはタイガーマスク(のマスク)。ご存知ない方もいらっしゃると思いますが、現在活躍中のタイガーマスクは4代目。伝説の始まりとなった初代タイガーマスクは佐山聡。その後、その名は2代目(三沢光晴)・3代目(金本浩二)と受け継がれ、現役の4代目タイガーマスクへと至ります(一時期ミノワマンが5代目になっていましたが)。その中でも僕が一番好きでマスクが欲しいと思っているのは初代タイガーマスク。まずは、その伝説たる所以を一目ご覧いただきたいと思います。

タイガーマスク


もう、これ見たら説明は要らないですね。何度見ても本当に美しい、とにかくかっこいい。1981年に原作アニメと新日本プロレスとのタイアップで登場したタイガーマスクですが、当時猪木が掲げていた「ストロングスタイル」のプロレスとはかけ離れた「アニメコラボ」というコンセプトに、最初はファンも戸惑ったかもしれません。しかし、こんなにも華麗で強いレスラーが今までのプロレス界で他にいるでしょうか。いや、やはり初代タイガーマスクはダントツだと僕は思います。驚異の身体能力と戦いのセンスで人気絶頂となり社会現象にまでなったタイガーマスクは、あのドリフのコントでもとりあげられた程でした。

ドリフターズ83 タイガーマスク


全盛期のまま1983年にマスクを脱いで新日本プロレスを脱退した初代タイガーマスクですが、1997年東京ドーム大会で新日本プロレスのマットに「タイガーキング」として久々の登場をはたしました。対戦相手は、なんとアントニオ猪木。ヘビーとジュニア、それぞれで一世を風靡した2人が再開する、夢の師弟対決がこの時実現しました。全盛期から10年以上経った2人ですが、戦いのセンスはまだまだ健在の名勝負。

タイガーマスクvsアントニオ猪木


今回のコラムを見て、タイガーマスクを欲しがる人が少しでも増え、その伝説が少しでも広く語り継がれていってくれればとても嬉しく思います。それでは最後に、初代~4代目のタイガーマスク達が集結した嬉しくて気絶しそうなタッグマッチをご覧頂きたいと思います。残念ながら2代目の三沢光晴はスケジュールの都合で参加できず金丸義信が2代目代理として参加しているのと、試合内容もイマイチなんですが、それでもこのメンバーが揃えばテンションが上がりますね。全員がタイガーマスクなので試合中の「いいぞタイガー!」「タイガー頑張れー!」という声援が誰に向けてなのか全く分からないのも面白かったです。初代&4代目組にひいき全開なレフリーはタイガーマスク仕様のグレートサスケ。

初代・4代目タイガーマスク VS 2代目・3代目タイガーマスク


今回はとても華のあるレスラーでボンバイエしましたので、次回こそはド演歌ファイター越中詩郎でプロレス風情を再度感じて頂ければと思っています。次回もお楽しみに、それでは。




※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。


【みちくさボンバイエ】越中詩郎・尻に込めたド演歌ファイターの魂。

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みちくさボンバイエ

様のおかげでこのプロレスコラム「みちくさボンバイエ」も11回目。いつも一緒にボンバイエして頂き、本当にありがとうございます。今回ボンバイエするレスラーは、ド演歌ファイター越中詩郎。「アメトーク」でよくケンコバが越中になっているので、ご覧になった事がある方も多いかと思います。

ケンドーコバヤシ 越中詩郎漫談


この動画、越中を知らない方はよく分からないかもしれませんが、すごく越中の特徴をつかんでいるんです。まず、ケンコバが連呼する「ふざけんな馬鹿野郎」の口調はこれですね。

越中、キレる!


あとの特徴を確認してもらいつつ、越中詩郎の特集動画をご覧頂きたいと思います。動画の中には若かりし頃の蝶野や武藤も出てきますよ。知らない人は驚くと思いますが、越中詩郎の得意技といえば「ヒップアタック」。その名の通り、お尻で相手にぶつかる技です。え? それ痛いのかって? おそらく、越中のお尻は鍛えぬかれて鋼鉄の様に硬いんですよ。うん、たぶん、きっと・・・ね。

越中詩郎特集


越中は「サムライ戦士」「ド演歌ファイター」と呼ばれるだけあって、尻だけでなくその根性と男気はすごいものがありました。頭を剃り上げて「平成維新軍」を立ちあげ、長州力率いる「昭和維新軍」と全面戦争を繰り広げていた越中からは、どれだけ技をくらっても立ち上がる不屈の精神力をいつも感じました。

なんか今回のコラムは短い様な気がしますが、百聞は一見にしかず。最後に、2003年に実現した、かつてライバルとして数々の名勝負を繰り広げた三沢光晴との久々の一戦をご覧いただきたいと思います。僕は越中でボンバイエできて、とりあえず今回も満足です。

NOAH 06.12.2003 – Mitsuharu Misawa vs Shiro Koshinaka


次回も越中と同様、今までいつ取り上げるかずっとタイミングを伺ってきた小橋建太かマサ斎藤でボンバイエしたいと思います。プロレス史には名レスラーが多すぎて順番に迷いますね。次回もお楽しみに、それでは。




※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】ジャイアント馬場・東洋の巨人、怒りの16文キック。

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みちくさボンバイエ

ロレスファンでなくても誰しもが名前を知る、歴史に残る名レスラーといえば。そう、全日本プロレス創設者のジャイアント馬場ですよね。アントニオ猪木は「猪木」、長州力は「長州」、蝶野正洋は「蝶野」なのに、ジャイアント馬場は「馬場さん」と「さん付け」で呼んでしまう。プロレスファンあるあるですね。元々はジャイアンツのピッチャーとして活躍を期待されつつも病気で引退し、力道山に弟子入り後にプロレスラーとして国民的なヒーローとなった馬場さん。

身長209cm、体重145kgとまさにジャイアントなレスラーでした。1999年に亡くなられた時は体に合うサイズの棺が無く、布に包んだ状態のまま葬儀が行われたのも伝説のひとつ。プロレスファンだったB’zの稲葉さんも、チョップが得意だった馬場さんの死に哀悼の意を込めて“ギリギリchop”という曲名を付けたそうです。

えっと、まずは僕が好きな馬場さんの試合をご覧頂きたいと思います。相手はスタン・ハンセン、入場する馬場さんに奇襲を仕掛けます。この時期、元々新日本プロレスだったスタン・ハンセンが全日本プロレスに殴り込んだ事をきっかけに、馬場さんとハンセンは幾多にも及ぶ熱い闘いを繰り広げていました。

ジャイアント馬場VSスタン・ハンセン 1982年9月14日 PWF戦



国民的ヒーローになった馬場さんは、テレビにも日常的に登場していましたね。テレビ番組では「SHOW byショーバイ!!」、CMではジャイアントカプリコが有名でしょうか。クイズ番組に出ても「答えがわからないから」と全くボタンを押さず、司会の逸見さんに怒られていたのが微笑ましかったです。でも、僕が一番好きな馬場さんのCMはメンソレータム。冒頭から必死にかゆがる馬場さんに爆笑しつつも、とても親近感が湧いたのを覚えています。あと、酒井法子がデビュー当時に使っていた「のりピー語」では、大きいことを「馬場ピー」と言っていて、子供の頃よく真似をしていました。

メンソレータムAD軟膏 CM 【ジャイアント馬場】 1993


馬場さんがよく口にしていた「生涯現役」という言葉。その言葉の通り、馬場さんは60歳を過ぎてもまだリングにあがり続けました。ここで、デビュー30周年記念試合と還暦記念試合を続けてご覧頂きたいと思います。デビュー30周年記念試合の方はスタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント、アブドーラ・ザ・ブッチャーというジャイアントすぎるレスラー達が集結。ちなみにアンドレは223cm、236kg……すごすぎる。

Giant Baba、Abdullah the Butcher vs André the Giant、Stan Hansen


続いて還暦記念試合の方ですが、この時小橋は30歳前後で、三沢も川田も全盛期。60歳の馬場さんに対して容赦なく攻撃をしかけます。しかし、何倍も強くなった弟子達の力を実感した馬場さんは終始とても嬉しそうでした。弟子達に対する、馬場さんの愛を感じた試合。子供ながらにすごく感動したのを覚えています。僕が大好きな(実は皆さんも聞いた事がある)全日本プロレスのテーマ曲で始まりますので、ぜひご覧ください。

ジャイアント馬場60歳の誕生日 還暦記念特別試合


ジャイアント馬場と同じく、日本のプロレスを創りあげたのがアントニオ猪木。2人のタッグチームは「BI砲」として数々の外国人レスラー相手に名勝負を繰り広げました。しかし、力道山の死後は猪木が新日本プロレス、馬場が全日本プロレスを立ち上げ、それからはなかなか会うことはありませんでした(それぞれの団体が、中継の専属契約をしているテレビ局が違ったので一緒に試合できなかったという説もありますが)。そんな中、1979年に一度だけBI砲が復活した試合があります。相手はアブドーラ・ザ・ブッチャーとタイガー・ジェット・シンという、共に昭和プロレスの歴史を築いたライバルレスラー。馬場さんが亡くなった時のニュースステーションでその試合映像が放送されましたので、そちらをご覧ください。

【格闘技】1979 08 26 ジャイアント馬場 アントニオ猪木 vs アブドーラ・ザ・ブッチャー タイガー・ジェット・シンテレ朝&日テレ


今回のコラムを書きながら、改めて馬場さんが愛される理由を再認識できた気がします。いやぁ、プロレスってほんとにいいもんですね。次回もお楽しみに、それでは。



※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】体重135kgの爆殺シューター、破壊王 橋本真也

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みちくさボンバイエ

ダゼー・ファンク Jr.はしばらく武者修行に出ておりました故、コラムの更新が久々となってしまいましたが、今回も爆裂ボンバイエしていきたいと思います。今回は、そんなパワーの有り余った僕にぴったりの破壊王・橋本真也でボンバイエ。

Mr.IWGPと呼ばれ、通算20度のIWGPベルト防衛記録を持つ橋本。一時期僕の中ではチャンピオン=橋本が当たり前になってしまうくらい絶対的な地位を確立したレスラーでした。40歳という若さでこの世を去ってしまった橋本真也ですが、135kgのスーパーヘビーな体重をしっかりと乗せた蹴り・DDTなどの必殺技は「破壊王」と呼ばれたその名の通り、相手を破壊してしまいそうな威力を持っていました。総集編の動画がありましたので、まずはそちらで破壊王たる由縁をご覧ください。

Top 20 Moves of Shinya Hashimoto


よく格闘技で言われる「技に体重を乗せる」ってこういう事ですよね。蹴り1発にも135kgがしっかり乗っているのが見て分かります。橋本がいつも試合の決め技としていた「垂直落下式ブレーンバスター」は解説席のマサ斉藤も「必殺技として完成されている」と語っていました。全く異論なく、僕も完璧な必殺技だと思います。その垂直落下式ブレーンバスターがこちら。こんな技、僕がくらったら首が引っ込んでしまいますよ、きっと。

橋本真也-吊車式垂直落下DDT


実は、橋本真也のインタビューがプレイステーションのCMで使われた事がありました。1990年2月のアントニオ猪木・坂口征二組との大一番タッグ対決の直前、時代劇が好きすぎる橋本が発した言葉を聞いて必死に笑いをこらえるタッグパートナー蝶野正洋。この時は「笑ってない!」と言い張っていた蝶野も、後日「控え室は爆笑だったんじゃない?」と発言が面白かったことを認めていました。橋本真也がプロレスラーになるきっかけとなったアントニオ猪木の問答と共に、思わず微笑んでしまう名場面をご覧ください。

蝶野、吹き出しそうになる(時は来た&猪木問答)


橋本真也を語る上で外せないのが小川直也の存在。バルセロナオリンピック柔道メダリストの小川はアントニオ猪木に弟子入り、プロレスデビュー戦でいきなり絶対王者橋本真也と戦う事になったんですが、なんとその試合で小川が橋本に勝ってしまったのです。その後のリベンジ試合では橋本が勝ったものの、3〜4試合目では小川の暴走に橋本は手も足も出ず敗北を喫しました。この時僕は「最強だと思っていたプロレスが負けてしまうのか」という、ただならぬ不安感を感じたのを覚えています。

そんな中、2000年4月7日東京ドームで次の橋本vs小川の試合が決定した際、衝撃のニュースが発表されました。橋本はこの試合に負けたら引退するというのです。当時プロレス界を代表する橋本真也の引退をかけた試合、それはもうすごい緊張感とともに僕はテレビにかじりつきました。

橋本真也vs小川直也 負けたら即引退試合 2/3


そう、この試合で橋本は負けてしまいました。そして、公約通り橋本は新日本プロレスに辞表を提出しました。新日本を解雇されて独立した橋本は、ZERO-ONEという団体を立ち上げてノアや大晦日のINOKI BOM-BA-YEに参加した他、全日本プロレスに乗り込んだり長州力と抗争を繰り広げたりしていました。この時の橋本・長州の「コラコラ問答」は有名ですね。橋本と長州の口喧嘩なのですが、ただでさえ長州が滑舌悪いのに加えて「タココラ」「なにがコラじゃコラ」「なにコラタココラ」とお互いコラコラと独特の韻を踏んだ口喧嘩になりました。

長州 橋本 コラコラ問答(無加工版)


2004年からは(正直、僕は苦手な)ハッスルに参加しはじめた橋本ですが、そこにはかつてのライバル小川直也との間に絆ができており、小川橋本の最強OH砲としてまた快進撃を続けていきました。

ということで今回は歴史的レスラー橋本真也で爆裂ボンバイエしてきましたが、いかがでしたでしょうか? 享年40歳という悲しい結果になりましたが、それでも橋本真也はプロレスの1時代を担った名レスラーだと思います。少なくとも、子供の頃の僕は橋本真也の試合で何度も感動を与えてもらいました。

最後に。全く橋本に関係ない勝手な紹介ですが、そして以前も紹介した動画なんですが、ただ僕が今見たくなったので。全盛期の佐々木健介が強すぎて、6秒で勝利した伝説の試合をご覧頂きたいと思います。次回のボンバイエもお楽しみに、それでは。

健介vs小原 6秒で勝利 This is Gachinko Pro-wresling!



「みちくさボンバイエ」アーカイブはこちら

※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】これぞ男気!名勝負製造機 川田利明

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みちくさボンバイエ

みちくさボンバイエのコラムも今回で14回目を迎えるわけですが、前々回でジャイアント馬場さんを取り上げて以降、最近は全日本プロレスの試合ばかり振り返って見ています。今回は僕の全日愛を語りつつ「名勝負製造機」と呼ばれる川田利明でボンバイエしたいと思います。

まず、僕の全日愛の1つはなんといってもこの全日のテーマ曲。普段からiPodで聴いているんですが、馬場さんが掲げる「明るく楽しく激しいプロレス」という言葉がすごくぴったりな気がします。馬場さんの勇姿とあわせてお聴きください。関係ないですが、僕のデスクにはいつも馬場さんのポストカードが飾ってあります。

ジャイアント馬場 全日本プロレステーマ曲/王者の魂


全日本プロレスには今でもトップレスラーが集まっていますが、僕が一番好きな全日は90年代。馬場さん・ハンセンなどの大御所や、勢いのある三沢・小橋・川田・田上などのレスラー達が、毎回の様に名勝負を量産していました。そんな中、川田利明は「名勝負製造機」と呼ばれ、本当にエキサイティングが試合をいつも繰り広げていました。まずは、永遠のライバル三沢光晴との激闘をご覧ください。

三沢 vs 川田 1999.7.23 三冠戦


やっぱり三沢と川田の試合はすごい。もう、対戦カードに2人の名前があがっただけで名勝負確定なんですよ。子供の頃、二人の試合を見る時はいつも息を飲んで見入っていました。ちょっとあの頃を思い出してテンションが上がってきたので、三沢vs川田をもう1試合。毎年春に開催される全日本プロレスの祭典「チャンピオンカーニバル」の過去試合からご覧ください。

三沢 vs 川田 2000 チャンピオン・カーニバル1回戦


決めました!あまりに名勝負だらけすぎるので、今日はこのまま三沢vs川田シリーズでいきましょう!!馬場さんの死後、三沢らを中心とする看板レスラー達がみんな全日本に辞表を提出してNOAHという新団体を立ち上げました。その時川田は「全日本の看板を捨てきれなかった」と残留を決意、しかし全日本に残ったのは渕正信、川田利明、太陽ケアのわずか3名だけ。そんな危機的状況でも川田は必死に全日本プロレスの看板を守っていました。

そんな中、三沢と川田が5年ぶりに闘うことになりました。2005年7月、なんとNOAHのリングに川田が上がる事になったのです。世間的な評判は「全盛期ほどではなかった」とあまり良いものではなかったんですが、僕は最高の試合だと思いました。三沢と川田が久々に闘うだけでもテンション上がるのに、更に素晴らしい試合が繰り広げられた事でとても感動したのを覚えています。久々の再会でも本当に感情むき出し、これぞ男の生き様という試合をご覧ください。

NOAH Mitsuharu Misawa vs Toshiaki Kawada 18.07.05


三沢vs川田の男の生き様シリーズ、いかがでしたでしょうか。この2人の闘いを見ていると、相手の技を全て受け、それでも勝つというプロレス最大の美学がストレートに伝わってきますね。やっぱプロレスは熱くなくっちゃ。次回のボンバイエもお楽しみに、それでは。

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※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

飛びつき腕ひしぎ逆十字固めの美学/ケンドー・カシン

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みちくさボンバイエ

みなさん、先日の<新日本プロレスBEST OF THE SUPER Jr.>の大会観ました!? いやー、素晴らしい大会でしたね。優勝したKUSIDA選手、本当におめでとうございます。そんな素晴らしかった大会の歴史的な決勝戦を繰り返し見つつ、今日はコラムを書いています。

僕がすごく好きな技の1つに「飛びつき腕ひしぎ逆十字固め」という技があります。子供の頃は、よくこの技を友達相手に練習して怒られていました。その名の通り相手に飛びついて巧く腕ひしぎ逆十字固めに持っていく技なんですが、それを得意技とする選手は技の入り方が美しく、いつも見入ってしまいます。代表的な選手で言うと、中邑真輔やケンドー・カシンでしょうか。言葉で説明してもなかなか伝わらないと思うので、まずはカシンの芸術的な技を集めた特集動画をご覧ください。

ケンドー・カ・シン 技集


コラムの中での流れってとても大切なので、今日はこの流れのままケンドー・カシンでボンバイエしましょう。カシンという選手は本当に戦いのセンスを持った選手なのですが、これまた独特な世界を持つくせ者でして、自分から握手を求めておいて相手が応じると拒否したり、試合中味方にも文句を言い始めたり。グレート・ムタと同様、戦う相手もタッグパートナーもとてもやりにくそうに試合を運んでいました。ただ、毎回観客も周りの選手も度胆を抜かれる発想を持っているので、僕はカシンワールドが大好きでした。そんなカシンがNOAHマットにあがった時の素敵な試合がありましたのでご覧ください。この試合でもカシンワールド全開。味方も敵も、トップレスラー達がカシンに翻弄されていました。

NOAH 10.07.2004 – Naomichi Marufuji & KENTA vs Takashi Sugiura & Kendo Kashin


せっかく勝ち取ったチャンピオンベルトを捨てたり、優勝トロフィーを壊したり、賞状をやぶったり。カシンは「問題児」として人気を集めました。ただ、どんな試合にも戦いのセンスは健在。打撃・投げ技・関節技など、レスラーそれぞれで得意な技ジャンルがあったりしますが、カシンは全体的にバランスのとれたレスラーだった気がします。そんなセンスをかわれてか、カシンは総合格闘技のリングにも時々登場していました。2000年12月、プロレスルールではありますが、桜庭和志と戦った試合がありますのでご覧ください。この試合、カシンは負けてしまうのですが、カシンらしく負け方も斬新でした。

Kazushi Sakuraba vs Kendo Kashin


独特のカシンワールドいかがでしたでしょうか。これから夏に向けて、各団体も熱い大会やツアーが予定されていますので、みなさんも是非、夏より熱いプロレス会場へ足を運んでみてくださいね。次回もお楽しみに、それでは。


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※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。


【みちくさボンバイエ】答えはこうだ。イヤァオ!!

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みちくさボンバイエ

和のプロレス全盛期、プロレス中継はゴールデンタイムに生放送されてました。そして現在唯一の地上波放送、テレビ朝日土曜日深夜の「ワールドプロレスリング」。深夜枠にはなりつつも以前は1時間番組でしたが、プロレス人気の衰退と共に30分番組になってしまいました。しかしプロレス人気が再熱している今こそ、また1時間番組に戻して良いんじゃないでしょうか? そんな事を最近毎日考えています。ということで今回は「選ばれし神の子」と呼ばれる中邑真輔でボンバイエ。

中邑真輔といえば。ある時を機に、彼はリング上でクネクネしはじめました。クネクネしながらのファイティングスタイル、はじめは僕も「おいおい、真輔どうした?」と思ったものです。本人曰く「スピードや瞬発力の為に行きついた脱力」と話していましたが、まぁOASISのリアム・ギャラガーの歌い方的なものなんでしょう。


Shinsuke Nakamura Entrance – Wrestle Kingdom 9


クネクネの他にも中邑真輔ワールド全開なのが、そのマイクパフォーマンス。

試合が終わると「もう闘うのイヤになっちゃったよ・・・うっそーーーーん!」

挑戦表明されると「どうしようかなぁ・・・。答えはこうだ。イヤァオ!!」

インタビューでは「誰か俺をもっとたぎられてくれよ。」

今回はその中から、僕が一番好きな「イヤァオ!!」をご覧いただきたいと思います。

中邑真輔「イャオ!!」


中邑の必殺技といえば、そう、「ボマイエ」。助走をつけて相手に接近し、体を反りながら全体重を膝にのせて相手の顔面に叩き込む技。その切れ味抜群の必殺技に、数々の強者たちがリングに沈んでいきました。正面からのボマイエ、背後からの延髄ボマイエ、セカンドロープからのダイビングボマイエ、バリエーションも豊富でスピードもあり、決まった時の破壊力はすごいものがあります。

ボマイェ


「朝起きた瞬間、目の前からボマイエが飛んでくる」そんな夢を時々見るのは僕だけでしょうか? 毎回驚いて飛び起きます。それでは最後に、新日本プロレスとNOAHの対抗戦で中邑真輔がみせた劇的な逆転勝利をご覧いただきたいと思います。誰もが中邑が負けると思ったその時、見事としか言いようがない跳びつき腕ひきじ逆十字固め。中邑の意地とセンスが光った一瞬でした。いや~、さすが!

中邑真輔的逆轉必殺技


次回は、最近ガキの使いでガッデーム! からの方正ビンタでお馴染みの「黒のカリスマ」蝶野正洋でボンバイエ。ガッデーーーム!!!!



※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】答えはこうだ。イヤァオ!!

【みちくさボンバイエ】「黒のカリスマ」蝶野正洋。ガッデム!!

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みちくさボンバイエ

さんは「闘魂三銃士」というものをご存知でしょうか? その昔、アントニオ猪木が「猪木イズムを受け継ぐ、未来のプロレス界を引っ張る3人のレスラー」として、当時若手だった武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の3名をこう名付けました。その判断は本当に正しかった。3名とも、間違いなくプロレス界を引っ張る名レスラーになりました。2005年の試合実況の中で、辻よしなりアナウンサーも「猪木のDNA鑑定は完璧であります!」と言っていましたが、僕は激しく同意したのを覚えています。今回はその三銃士の1人、今では「黒のカリスマ」と呼ばれる蝶野正洋でボンバイエしたいと思います。

年末のダウンタウンのガキの使いに毎年出演しては「ガッデム!!」と叫び、方正をビンタしている黒のカリスマ。暴走族からプロレスに入門したレスラーですが、昔は黒くなかったんです。白いパンツを履いて、どちらかというと正当派なプロレススタイルでした。

蝶野正洋vs馳浩(後編)


新日本プロレスの夏の祭典といえばG1クライマックス。レスラー達が優勝をかけて争うリーグ戦のイベントなんですが、蝶野はこのG1で5回という最多優勝記録を保持しており、「G1男」「夏男」の異名を持っていました。チャンピオンベルトもWWA、NWA、IWGPと何度も王座に君臨して巻いています。そんな蝶野のデビュー戦の相手は、神無月のモノマネでお馴染み、あの武藤敬司。

みちくさボンバイエ


ここで、若かりし頃の蝶野vsグレート・ムタ(武藤)の試合をご覧頂きたいと思います。二人とも今と全然違った見た目ですが、今も昔もかっこいいですよね。

The Great Muta(IWGP Champion) vs Masahiro Chono(NWA Champion) – Title vs Title


蝶野が現在の様な黒いヒールスタイルに転向したのは、1994年のG1クライマックスで優勝した後のこと。僕はテレビ朝日「ワールドプロレスリング」で見ましたが、あの歴史が動いた瞬間は忘れられません。vs馳浩(はせひろし)戦でした。蝶野が入場するその時に流れた、いつもと全く違う入場曲。会場の全員が異変に気づきました。実況の辻アナウンサーも「蝶野はどうなんだ? 蝶野はどうなっているんだ? ・・・・・真っ黒だぁぁぁ!!」現れたのは全身真っ黒になった蝶野正洋。最高にクールな入場曲とその風貌に、当時小学生だった僕のアドレナリンは一気に放出されました。

そこからは蝶野の快進撃の始まり。その実力とカリスマ性で「エゴイスト集団」→「nWo JAPAN」→「TEAM 2000」と数々のグループでレスラーを束ねるリーダーとして活躍していく中で、現在の「黒のカリスマ」と呼ばれる地位を築いていきました。何度も言いますが、蝶野の入場曲が本当にかっこいいんです!ということで最後に、2005年に行われた小橋建太vs蝶野正洋の名試合を入場も含めてご覧頂きたいと思います。はじめにお伝えしておきますが、この時蝶野は左膝のじん帯を損傷しています。満身創痍の中で黒のカリスマが本気の意地を見せた、感動的な試合でした。そして、やっぱり入場がかっこいい!

NJPW Kenta Kobashi vs Masahiro Chono 05.03.03


書いた後に気づきましたが、思えば蝶野が負けた試合ばかり紹介していますね・・・いや、ほんとに強いんですよ!

普段なら次回のテーマを発表するところですが、まだ決めきれてないので次回までに決めておきますね。ヘルレイザーズやスタイナーブラザーズ、エル・サムライあたりで迷ってます。次回もお楽しみに、それでは。



※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】「黒のカリスマ」蝶野正洋。ガッデム!!

【みちくさボンバイエ】不沈艦 スタン・ハンセン

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みちくさボンバイエ

じめまして。ダゼー・ファンク Jr.と申します。これからQeticコラム『みちくさボンバイエ』にて、様々なプロレスの魅力で皆さんとボンバイエしていければと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

本日お話するのは、その左手一本で昭和のプロレスを引っ張ってきたスタン・ハンセンについて。僕は幼少の頃、ハンセンのウエスタンラリアットこそが世界最強だと信じて疑いませんでした。まずはとにかく、その力技のインパクトをご覧ください。

スタン・ハンセン ウエスタンラリアット集(計95発)


どうですか、どうですか。この技ね、最後の最後までなかなか出してくれないんです。僕はいつもテレビにかじりつきながら、今か今かとラリアットが出る瞬間を待っていました。ウエスタンラリアットが見事にきまって相手をリングに沈めると、先程の動画にあった有名すぎる入場テーマが流れ(曲名は「サンライズ」)、僕はテレビに向かって右手を突き上げ、ハンセンと一緒に「ウィィィィーッ!」。嗚呼、子どもながらに至福の瞬間。

みちくさボンバイエ


アメリカ・テキサス州からやってきたハンセンは圧倒的な強さを誇り、当時実況アナだった古舘伊知郎さんから「不沈艦」「ブレーキの壊れたダンプカー」と呼ばれました。ちなみに、プロレスの実況アナの中では、(賛否両論ありますが)僕は古舘さんの後の辻よしなりアナウンサーが好きです。長州力の引退試合での実況「ありがとう長州! でも本当は・・・行かないでくれぇぇぇーーー!!」に泣きました。泣きますよあれは。

実況アナウンサーの話にそれてしまったところで、最後に1992年に行われたハンセンvs川田利明の1戦をご紹介。もちろん、最後はウエスタンラリアット出ますよ!(実は元読売ジャイアンツのピッチャーからプロレスへ転向したジャイアント馬場と、松村邦洋ではなく本物の元阪神タイガース掛布さんが実況解説。)

Hansen vs Kawada



次回はプロレスの天才武藤敬司の第2の顔、「グレート・ムタ(愚零闘武多)」でボンバイエ。それでは。


※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】不沈艦 スタン・ハンセン

グレートムタ、見参。

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みちくさボンバイエ

Qeticコラム「みちくさボンバイエ」もこの度めでたく2回目を迎え、そろそろ根強いファンが付いてきてもいいんじゃないかと考えています。今回ボンバイエするのは、天才プロレスラー武藤敬司第2の顔「グレートムタ」。

「グレートムタ・・・見参。」

リングアナ田中ケロさんの入場コールの後、会場内に響き渡る琴や笛、太鼓の音。ムタの入場曲は武藤の入場曲を和風にアレンジしたものなんですが、最高にかっこよくて子供の頃大好きでした。小学生の頃、学校のリコーダーで一番吹いたのがこの曲。

まずは、そんなかっこいい入場シーンと華麗でダークなムタの技をご覧ください。

グレートムタ 入場テーマ 愚零闘武多協奏曲 Great Muta concerto


ところでみなさん、この動画の中にもありましたが、ムタのトレードマークでもある「毒霧」ってご存知ですか? 口から色のついた液体を相手の顔に向かって噴射して相手の視界を遮る反則技なんですが、ザ・グレート・カブキによって生まれた後その息子役という設定のグレート・ムタに受け継がれたもので、アメリカでは「東洋の神秘」と呼ばれました。女性は知らないでしょうが、実は男の誰しもが年齢を問わずお風呂でこの技を練習しています。

今ではバラエティ番組でお馴染みの蝶野正洋・橋本真也と並び、アントニオ猪木からプロレスの次世代を担う「闘魂三銃士」としてイノキイズムを継承された武藤敬司。武藤がムタになった時、ルールに縛られないその天才的センスはさらに大きくなっている様に感じました。



みちくさボンバイエ



ここで紹介したいのが1997年に行われたグレート・ムタvs小川直也の試合(レフリーがなんとアントニオ猪木)。バルセロナオリンピック柔道メダリストから総合格闘家に転向し、猪木と佐山聡(初代タイガーマスク)に鍛えられた小川でしたが、ムタの圧倒的なプロレスセンスの前に手も足も出ず、わずか7分足らずで完敗してしまったのでした。

Great Muta vs. Naoya Ogawa(10.08.1997)


武藤がスキンヘッドにしたのをきっかけにしばらくムタは封印されましたが、2002年にニューバージョンのムタとして、以前と違ったメイクスタイルで復活してくれました。まさしくファン待望。サッカーワールドカップの時にフェイスペイントをする様に、みんなぜひ好きなムタペイントをして集まってほしいと思います。

みちくさボンバイエ





最後に、1992年に福岡ドームで行われた長州力vsグレート・ムタの試合をご紹介。当時チャンピオンとしてプロレス界のトップを走っていた長州ですが、ムタの「何もしない」という心理作戦にはまって苛立ってしまい、冷静さを欠いたところで一気にムタに攻められて負けてしまいます。これもムタのペースに持ち込む為の見事な頭脳戦。ムタがチャンピオンとなって、また時代を塗り変えた瞬間。ぜひご覧ください。

グレート・ムタ vs 長州




次回、実はダゼー・ファンクJr.が1番好きなレスラー。最近ダウンタウンやくりぃむしちゅーの番組でお馴染みの「長州力」でボンバイエ。特に彼の滑舌に注目。それでは。

※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

グレートムタ、見参。

【みちくさボンバイエ】怒りの獣神・獣神サンダーライガー

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みちくさボンバイエ

3回目を迎えましたQeticコラム「みちくさボンバイエ」。このコラムが僕の自己満で終わらず、少しでもプロレスファンを増やすきっかけになればと日々願っております。

前回の最後で「次回は長州力」と言っておきながら、やっぱり久々にライガーが見たくなってしまいまして。今回は意気揚々と獣神サンダーライガーでボンバイエしたいと思います。

「獣神サンダーライガー」。プロレスを知らない人からすると、正直ナンセンスなリングネームだと思いますよね。実はタイガーマスクと同様、当時のアニメ「獣神ライガー」をモチーフに生まれたレスラーなんです。猪木のストロングスタイルと呼ばれる本気(マジ)なプロレスが全盛を迎える中、正直、急に出てきたアニメみたいなキャラクターにがっかりしたファンもいたと思います。ただし、タイガーマスクと同じくその強さは本物であり、ライガーは新日本プロレスのジュニアを代表するトップレスラーとしてプロレス界を牽引してきた正真正銘のヒーローです。

ライガーの技をわかりやすくまとめたハイライト動画があったので、最初はとにかくこちらをご覧ください(BGMはライガーの入場曲でありアニメの主題歌「怒りの獣神」、ダサいですがファンにはたまらなくくせになる曲)。


The Top 50 Moves of Jushin Liger


はい! みなさんの興奮が冷めないうちに、すかさずもう1本動画をご紹介。新日本プロレスのジュニアヘビー級の代表として、ライガーは様々な他団体のエース達とも死闘を繰り広げ「ジュニアがヘビーを超えた」とも言われたジュニア全盛期を築きあげていきました。

まずは東北地方を中心に活動している団体「みちのくプロレス」のザ・グレート・サスケとの名試合をハイライトで。サスケ選手は国会議員に当選した時、マスクを着用したまま国会に出席して話題になりましたね。学校の自由工作でサスケマスクのお面を作った小学生の僕に対して、先生が言った一言「それは・・・何?」が未だに忘れられません。

Jushin Liger vs The Great Sasuke NJPW 9/7/1994 Highlights


1994年にライガーの提案で実現したトーナメント大会「スーパーJカップ」には、ハヤブサ、サスケ、ドラゴン、デルフィンなど、プロレス団体の垣根を越えた数々のスター選手が登場しました。今度はその歴史の中の1試合をご紹介。当時WARという団体に所属し、最近人気を集め始めた「ドラゴンゲート」という団体の生みの親でもあるウルティモ・ドラゴンとの一戦です(試合途中からの動画でごめんなさい)。

Jushin Liger v Ultimo Dragon





さて、今回はいつもよりちょっとテンション高めに書いてきましたが、ライガーの魅力は伝わりましたでしょうか? 思い返せば同級生が遠藤久美子や鈴木保奈美のポスターを部屋に貼っていた中、思春期の僕の部屋に貼ってあったのはライガーの直筆サイン入りポスターでした。最後に、僕がライガーのファンになったきっかけとも言える1993年に福岡ドームで行われた試合をご紹介。当時エースのライガーが負けてしまい話題となった、タイガーマスク3代目の輝かしいデビュー戦です。






毎回昭和のプロレスばかり紹介している気がするので・・・現在数々のプロレス記録を更新中、プロレス界に金の雨を降らせている「レインメーカー」オカダカズチカで次回はボンバイエ。それでは。


※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】怒りの獣神・獣神サンダーライガー

【みちくさボンバイエ】レインメーカー・オカダカズチカ

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みちくさボンバイエ

よそ3年前、アメリカ武者修行に出ていたオカダ・カズチカが日本のプロレス界に帰ってきました。自らをプロレス界に金の雨を降らせる「レインメーカー」と称して。そして、帰国早々にチャンピオンの前に現れ、IWGP(新日本プロレスのチャンピオンベルト)への挑戦表明をしたオカダ。でも正直な話、武者修行に行く前のオカダはパッとしなかったんですよ。だから、誰しもがそんなオカダに対して「まだまだ時期尚早」だとその時思いました。挑戦を表明したオカダへは観客からブーイングが起き、当時チャンピオンの棚橋からは「オカダ、IWGPは遠いぞ」と言われてしまいました。

しかし、なんとオカダは次のタイトルマッチで棚橋を破り、史上2番目の若さでチャンピオンベルトを巻く事になりました。圧倒的な強さとみなぎる自信、観客のブーイングはいつしか大きな声援へと変わっていきました。

Kazuchika Okada Rainmaker MV


ここからはオカダの快進撃の始まり。新日本プロレス夏の祭典「G1クライマックス」では初出場で初優勝、史上最年少優勝記録を樹立。その年のプロレス大賞では最年少タイ記録でのMVPとベストバウト賞を受賞し、その他にもプロレスの歴史を1つまた1つと塗り替えていきました。それと同時に世の中のプロレス人気も再熱していき、「レインメーカー」オカダの言う通り、プロレス界に金の雨が降り始めました。

また、その他にもオカダの魅力としてあげられるのが、そのマイクパフォーマンス。相手を挑発するときも常に落ち着いた表情でニヤついて「あなたには僕のほんの小さな踏み台になって頂きますんで。お疲れ様でした」。激闘の後、勝った感想を聞かれても「感想は・・・特にありません」。もはや時代をひっぱるチャンピオンの貫禄ですね。


WRESTLING DONTAKU 2013 IWGP OKADA vs SUZUKI Match VTR


最後に。先ほどご紹介した、オカダが新たなチャンピオンとなり歴史が動いた名試合をご覧頂きたいと思います。時代を引っ張るレインメーカー、まだまだこれからが楽しみですね。


Kazuchika Okada becomes IWGP champion



次回はみなさんがご存知の有名なプロレス技「バックドロップ」でボンバイエ。完成されたバッグドロップは本当に美しいのです。それでは。





※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】レインメーカー・オカダカズチカ

【みちくさボンバイエ】Mr.バックドロップ

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みちくさボンバイエ

時期K-1やプライドに流れてしまった格闘技ファンの方や、まだプロレスを見たことがない皆さん、興味本位でも良いので一度今の熱いプロレスを見てみてください。そんな皆さんを、プロレスファンの我々は全力で歓迎します。っということでこんにちは、今週もみちくさボンバイエの時間がやってまいりました。

今回は、プロレスのポピュラーな技の一つ「バックドロップ」でボンバイエ。おそらく誰しもが聞いた事がある技の名前だと思います。ただですね、完成されたその技がもはや芸術の域に達している事なんて、あまり知られていないでしょう。とはいえ、ただのマニアの気持ち悪い熱弁だと思われない様に、とにかく見て頂こうと思います。まずは、スティーブ・ウィリアムズのデンジャラスバックロドップをご覧あれ。


スティーブ・ウィリアムス バックドロップ特集


見ましたかこの角度。たかがバックドロップ、されどバックドロップ。メジャーすぎる技ながら文句の付けようがない必殺技なのが、このスティーブ・ウィリアムズのデンジャラスバックドロップ。その昔「鉄人」ルー・テーズによって開発されたこの技はここまで完成度を高めました。ただ、日本人の中にもバックドロップを芸術と呼ばれる域まで完成させたレスラーがいました。正解は分かりましたね、そう、ジャンボ鶴田です。彼のバックドロップはよく「ヘソで投げるバックドロップ」と呼ばれましたが、自らの体を反りながら、相手のヘソを中心として足先がきれいな弧を描くのがとても美しい。

ジャンボ鶴田 バックドロップ43連発


スティーブ・ウィリアムズもジャンボ鶴田も、49歳の若さでこの世を去ってしまいましたが、歴史に残る名勝負を幾多も繰り広げた名レスラーでした。

ということで最後に。バックドロップは全然関係ないですが、僕が今見たくなったので飯伏幸太のフェニックス・スプラッシュを見てお別れしようと思います。




次回は、アメトーークの「今、プロレスが熱い芸人」でケンコバがなりきっていた「反逆のボマイェ」中邑真輔でボンバイエ。それでは。









※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

【みちくさボンバイエ】Mr.バックドロップ


190cm170kgの皇帝/ビッグバン・ベイダー

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みちくさボンバイエ

先日、サークルKサンクスと新日本プロレスがコラボしていたのをご存知でしょうか? 正直、僕はずるいと思いました。だってお弁当の海苔が新日のライオンマークになっているだけなのに……買うに決まってるじゃないですか! 美味しそうとかカロリーとかどうでも良くて、CDで言う「ジャケ買い」、悔しいけど迷わず購入してしまいました。

みちくさボンバイエ

出典:http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=14034


ということで、今回ボンバイエしたいのは皇帝戦士ビッグバン・ベイダー。190cm170kgという巨漢のベイダーは腕を振れば「ベイダーハンマー」と呼ばれ、体をぶつければ「ベイダーアタック」と呼ばれるほど、すさまじい破壊力の持ち主でした。ただベイダーが他のパワーファイターと圧倒的に違うところ、それはその体格からは想像がつかないほど身軽なところだと思います。ただのデブじゃないんです、トップロープからムーンサルトする170kgなんて普通に考えてありえないですよね。そのとてつもない破壊力は受けた事がなくても想像つくかと思います。

「皇帝戦士」ベイダーのムーンサルトです(自爆)


元々はマサ斎藤からのスカウトでアメリカより来日したベイダー。新日本プロレス、全日本プロレス、NOAHと日本のプロレス団体を転々としましたが、新日では猪木や長州と死闘を繰り広げ、全日ではハンセンとの最強タッグを結成し、NOAHでは世代の違う三沢や小橋に全く引けを取らないファイトを見せ、各団体で確実に伝説となる爪痕を残していきました。

その伝説の中の1つ、毎年開催される全日本プロレス春の祭典「チャンピオンカーニバル」でベイダーが優勝した試合をご覧いただきたいと思います。ベイダーもすごいけど、ベイダーのムーンサルトをくらってもまだフォールを返す小橋もすごい!

小橋 vs ベイダー 1999 チャンピオンカーニバル決勝戦


アントニオ猪木が引退を宣言して「イノキファイナルカウントダウン」という全12試合のシリーズをはじめました。その当時、時代を引っ張っていた選手や過去に猪木が死闘を繰り広げたレスラーとの試合が組まれていったのですが、その中の1戦が1996年1月4日東京ドームで行われたベイダーとの試合でした。久々にベイダーが新日のリングに上がるとあって、子供だった僕はなぜか正座をしてしっかりと試合に見入ったのを覚えています。結果的に関節を取られたベイダーは負けてしまいましたが、途中投げっぱなしジャーマンで猪木を失神させたりと、試合は終始ベイダーペースでした。相変わらずの存在感を魅せつけたベイダーの試合をご覧ください。

Big Van Vader vs. Antonio Inoki


いかがでしたでしょうか。僕は最近全然痩せられずに太っていく自分を気にしてたのですが、このくらい身軽だったら太ってても良いなぁと感じてしまいました。次回もお楽しみに、それでは。


「みちくさボンバイエ」アーカイブはこちら

※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

190cm170kgの皇帝/ビッグバン・ベイダー

日本のプロレス史上、一番すごいラリアットは誰だ!?

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ラリアット

自分の片腕に全体重を乗せ、一気に相手の首元に叩き込むラリアット。その荒々しい技を必殺技としてきたレスラーは今までにも数多くいました。しかし、実はラリアットといえどもそのやり方・見え方は人それぞれ。すさまじいラリアットであればあるほど、その見え方は美しく芸術的になるのです。この発言を聞いただけだと「ただのプロレスオタクのキモい発言」だと思っちゃうはずなので、今日は実際に動画を見ながらラリアットの違いと芸術性についてボンバイエしたいと思います。ほんとはね、もっともっと紹介したい素晴らしいラリアットの使い手がたくさんいるんですけど、1度のコラムで紹介できる人数が限られているので……このメンツに納得できない人がいたらごめんなさい。

まず紹介したいのが「ウエスタンラリアット」の使い手スタン・ハンセン。この人が日本のプロレス界にラリアットを根付かせたと言っても過言ではないと思います。アメフトで鍛えた突進力と強靭な下半身があるからこそ出せるハンセンのラリアットは、実は僕が一番見惚れるラリアットなんです。

スタン・ハンセン ウエスタンラリアット集(計95発)


次に紹介したいのは、ハンセンとほぼ同時期に来日していたハルク・ホーガン。彼のラリアットは「アックスボンバー」と呼ばれていましたが、実はハンセンのラリアットを参考に作られた技でした。肘の角度がL字型で特徴的なラリアットの派生技で、今では全日本プロレス大森隆男の必殺技として受け継がれています。

Hulk Hogan Axe Bomber


そして日本人ラリアットの神、長州力。叩きつけ式の「リキ・ラリアット」は、自分自身でハンセンのラリアットを何発も何発もくらって敗れる中で自分の体に叩き込んだという、革命戦士長州らしい技のマスター法で生まれた必殺技でした。良く見ると、足のステップで体重を乗せるタイミングを合わせており、僕は子供の頃このステップで登下校した事がありました。ラリアットだけの動画が無かったのですが、この動画の4:30からのラリアットが本当に美しいですよ。

【ブチギレ新日本プロレス】長州力 vs 柴田勝頼 貴重なシングル戦 リキラリアットに簡単に倒れない狂犬【喧嘩マッチ】


そして次に、剛腕小橋建太。日本人離れした太い腕を持つ小橋が、その腕を振り回すショートレンジラリアットは、その名の通り「剛腕ラリアット」と呼ばれました。誰が見ても分かる程、その威力は絶大!!小橋がラリアットを観客にアピールした瞬間、観客の全員がその右腕に集中します。

剛腕ラリアット


ラリアットはヘビー級だけの技ではありません。次に紹介したいのはエル・サムライのラリアット。受けた相手が空中で一回転してしまう程勢いがついたラリアットは、とても芸術性を感じるものでした。が、うまく動画が見つからず…次回以降で見つかれば、紹介します!すいません!

ラリアット
他にもアニマル・ウォーリアー、大森隆男、潮﨑豪、後藤達俊など紹介したいレスラーが沢山いるのですが、そろそろコラムの尺がきつくなってきましたので、最後に1人だけ紹介したいと思います。最近ラリアットの新しいスタイルを確立した男、つい先日の大阪城ホール大会で再びIWGP王者に返り咲いた男、オカダカズチカ。ラリアットをうまく派生させた「レインメーカー」という技は、スキが多いものの当たれば必殺の破壊力を持っています。中邑真輔に放った芸術的なレインメーカーをご覧ください。

オカダカズチカ レインメーカー


今回はレスラーではなく1つの技でボンバイエしてみましたが、いかがでしたでしょうか?

同じ技とはいえそれぞれのレスラーが自分に合わせて改良し、必殺技として自分のものにしていってるんですね。特にラリアットという技は真正面からぶつかる美しい力技だと思います。次回もお楽しみに、それでは。

※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

革命戦士と呼ばれた男、長州力

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長州力

ごめんなさい、G1クライマックスと見せかけてのフジロックに行ってて、余韻に浸りすぎてコラムの更新が遅くなりました! ひさびさのボンバイエ、張り切っていきたいと思います! イヤァオ!!

突然ですが、みなさんは「革命」と聞いて何を思い浮かべますか?産業革命やフランス革命が浮かんだ人やゲバラやナポレオンが浮かんだ人、思い浮かぶものは人それぞれだと思いますが、プロレスファンが思い浮かべるのはただ一人。そう、「革命戦士 長州力」ですよね。新日本プロレスファンに「1.4」と言うと「東京ドーム」と即答で返ってくるのと同じくらいのプロレスファンあるあるかと思います。

今では滑舌が悪いレスラーの先駆けとしてバラエティー番組に引っ張りだこですが、昔は本当に気性が荒く、猪木に噛みつき、新日本に噛みつき、全日本に殴り込み、歴史的試合に乱入して観客を激怒させ、とにかく我が道を突っ走るレスラーでした。ただ、その気迫と勢いはすごかった。まずは、有名なシーンからご覧頂きたいと思います。試合中にタッグパートナーの猪木・藤波との間に不穏な空気が流れ出し、もめた試合後に「俺はおまえの噛ませ犬じゃない!」と有名すぎる発言をした試合です。この「噛ませ犬発言」をきっかけに新日本プロレスに反旗を翻し、長州は一躍ブレイクしていくこととなります。

長州 藤波 かませ犬発言の試合


プロレスのテレビ中継が視聴率20%を超えていたこの黄金時代、藤波・天龍・ジャンボ鶴田など、長州には数多くのライバルがいました。ジャイアント馬場やタイガーマスクも長州を迎え撃ちました。そしてマサ斎藤・谷津・アニマル浜口など、志を共にしてくれる仲間もいました。そんな仲間達と共に、長州はライバル達と名勝負を繰り広げていきました。(実はミュンヘンオリンピックの時、韓国籍だった長州は韓国代表としてレスリングに参加し、その時の日本代表にジャンボ鶴田がいて、プロレス入門前のその時から二人はライバルでした。)それでは、当時のプロレス界を引っ張っていた豪華メンバーの試合をご覧頂きたいと思います。すんごい昭和のプロレスですが、最後のリキラリアットが強烈!!

馬場、タイガー vs 長州、谷津


新日本プロレスに戻った長州は、同世代だけでなく武藤・蝶野・橋本などの闘魂三銃士世代とも名勝負を繰り広げました。全盛期だった闘魂三銃士に対してもすごく厳しく、今でもバラエティー番組でその喧嘩シーンが流れますよね。ただ、この時から滑舌の悪さは健在でした。橋本真也との名喧嘩シーンと、若かりし頃の橋本・武藤とタッグを組んだ試合を続けてご覧ください。橋本との口喧嘩での「おまえ吐いた言葉飲み込むなよ」はかっこよかったっす。そして、全盛期の三銃士とのタッグでも長州の存在感は絶大!

長州 橋本 コラコラ問答(無加工版)


Hashimoto.&.Mutoh.&.Choshu.vs.Norton.&.Allen.&.Halme


長州の一番弟子と言えば、同じく最近はテレビでよく見る佐々木健介。健介と北斗さんの結婚式仲人も長州でした。そして、しばしば二人でタッグを組むこともありました。高田延彦が率いる団体UWFと新日本プロレスが全面戦争になった際も、長州は健介と組んでUWFのエース達を迎え撃ちました。その記念すべき試合をご紹介したいと思います。

UWFI vs NJPW Takada & Kanehara vs Chosu & Sasaki


このように、数々の革命を起こしつつも常にプロレス界を引っ張ってきた長州力。子供の頃、僕はそんな長州に憧れて部屋にサソリ固めを決めた長州のポスターを貼っていました。引退試合の時、パワーホールというテーマ曲が流れる中で花道を去っていく長州に対して、実況の辻よしなりアナウンサーが涙ながらに叫んだ言葉「今までありがとう長州! でも本当は……行かないでくれぇぇぇぇーーーっ!!」には本当に泣きました。今も思い出して泣きそう。

という事で最後に。先日長州が競馬の実況中継をするという、とんでもない企画が公開されていたのでご紹介。実況がレースに全然追いついていない感じが伝わってきて、とても面白かったです。「みちくさボンバイエ」次回もお楽しみに、それでは。

プロレスラー長州力が競馬実況に挑戦② !



※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

夏こそ、投げフェス!!!

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投げフェス

みなさんこんにちは、ダゼー・ファンクJr.と申します。今年も猛暑ですねー、暑いですねー、熱いプロレスの季節ですねー! という事で、僕が好きな投げ技を集めた「投げフェス」たるコラム企画を勝手にやってみようと思います。暑さも吹っ飛ぶ投げ技オンパレード。さぁ、心の準備はできましたでしょうか? それでは、スタート!!!

まずは、ゲーリー・オブライトのジャーマンスープレックス


続いて、スコット・スタイナーのスクリュードライバー


そして、スティーブ・ウィリアムスのバックドロップ


まだまだ祭りますよ!!

次に、橋本真也の垂直落下式ブレーンバスター


このまま日本人いきましょう! 小橋建太のバーニングハンマー


そしてそして、川田利明の垂直落下式パワーボム


最近のレスラーからも! 後藤洋央紀の昇天


杉浦貴のオリンピック予選スラム


そして最後に、秋山準の断崖式エクスプロイダー



投げフェスいかがでしたでしょうか? 投げて投げて投げまくって、残暑を乗り切りましょう! 次回もお楽しみに、それでは。


※上記画像は動画をスクリーンキャプチャしたものになります。

大会レポ/プロレスリングNOAH 8.22後楽園大会

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みちくさボンバイエ-main

先日、NOAHの後楽園大会を見に行ってきまして。プロレスコラム、みちくさボンバイエ史上初の大会レポを行いたいと思います! 鈴木軍と全面戦争中の今のNOAHはやっぱり盛り上がってますね〜。全面戦争中なので試合の緊迫感が違ったし、意地と意地のぶつかり合いに会場全体がとても熱くなってました。今日はNOAH 8.22後楽園大会で僕が一番テンション上がった試合のレスラー達でボンバイエしたいと思います。

その試合とは、モハメド・ヨネのデビュー20周年記念試合として行われた高山善廣&齋藤彰俊vs丸藤正道&モハメドヨネの試合。試合前にモハメド・ヨネに渡す花束を持って花道から現れたのは……なんと!! 田上明!!! 田上の姿を見た時がこの日一番テンション上がりました。

みちくさボンバイエ1
現在はNOAHの社長を務める田上明。現役時代の田上は全日本プロレスで三沢光晴・小橋建太・川田利明と共に「プロレス四天王」と呼ばれていた名レスラー。あの時代、ライバル達と幾度となく熱い試合を繰り広げていました。せっかくなのでプロレス四天王全盛期の試合をご紹介。1993年の世界最強タッグリーグ、決勝戦はプロレス四天王がタッグで集結する形になりました。



ということで、高山・齋藤・丸藤・ヨネを1人ずつボンバイエしていこうと思います。まずは高山善廣。プロレス界の帝王と呼ばれるだけあって、ただでかいだけでなく、その貫禄はものすごいものがあります。安生洋二と一緒に新日本に乗り込んで暴れていた黒髪痩せ型時代とは比べ物にならないくらい、色々な団体や異種格闘技を渡り歩く中でとても大きな存在になった気がします。僕が一番好きな高山の試合は、かの有名なドン・フライとの異種格闘技戦。お互い顔がボコボコになるまで殴りあった、男の生き様を懸けた一戦でした。まずがその試合をダイジェストでご覧ください。ほんと、もう、ボコボコ!



次に齋藤彰俊。元々空手家の齋藤が、20周年のヨネに向けて「俺からのお祝いだー!」と叫んで20発の蹴りをみまったのがとても良かったです。僕の中での齋藤は新日本プロレス時代の平成維新軍のイメージが強いですが、今ではNOAHに欠かせない大御所レスラーになりましたね。昨年行われた三沢光晴のメモリアルマッチ・メインイベントでは、丸藤と熱い試合を繰り広げました。齋藤のバックドロップで三沢が亡くなってしまうという事故以来、色々とあって各団体を転々としていた齋藤ですが、この試合の後のリングでドラマが生まれ、会場のお客さんの後押しもあり、齋藤がNOAHに戻ってくれる事となりました。



次にご紹介するのは丸藤正道。今回の試合もそうでしたけど、やはり素晴らしいプロレスセンスの持ち主。さすがJrヘビー級からヘビー級になっただけあって、技は強烈且つとても綺麗。そのうえ、相手の攻撃を読む「勘」はいつも脱帽ものです。各団体からJr.ヘビー級のトップ選手が集う「SUPER J-CUP」という大会があるんですが、2009年のSUPER J-CUPで丸藤は新日のエース選手プリンス・デビットを見事に破って優勝しました。その決勝戦の動画をご覧頂きたいと思います。丸藤の必殺技「不知火」はほんとに美しくて何度見ても飽きない!!



そして最後に、デビュー20周年を迎えたモハメド・ヨネ。今でもデビューしたての頃を覚えていますが、もう20年もたったんですね。試合を見ながら勝手に感慨深くなってしまいました。ヨネの必殺技といえばもちろん「キン肉バスター」。ゆでたまごの大人気プロレス漫画「キン肉マン」の中に出てくる技を使うレスラーは何人もいますが、主人公キン肉スグルの必殺技「キン肉バスター」をヨネが実現してくれたときはとても嬉しかった! その威力はもちろん絶大で、2011年のKENTA戦では相手を失神させて試合はレフリーストップとなりました。2007年に今回のタッグパートナー丸藤と戦った試合がありましたのでご覧頂きたいと思います。場外でのキン肉バスターも成功してかなり良いとこまで丸藤を追い込んだんですが、丸藤らしい一瞬の返し技でフォールを奪われてしまいました。



ダゼー・ファンクJr.なりの初の大会レポ、いかがでしたでしょうか?こんな風に、プロレスのリアルな今を基に歴史を思い出すのも良いですね。各プロレス団体の皆様、勝手な事ばかり書きますが、いつでもご招待お待ちしております!!次回のみちくさボンバイエもお楽しみに、それでは。

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